宮城県-東北地方太平洋沖地 視察レポート

 概要 

 宮城県には石巻⇒南三陸(志津川)⇒気仙沼のルートで、訪問看護ステーション6カ所、避難所1カ所を視察しました。
必要な物資等は予め当協会から県訪問看護ステーション連絡協議会に確認し、当協会支援物資と日本看護協会支援物資を併せて届けることができました。
 当協会からは次長の宮崎和加子、中村敦郎が望月正敏氏(日本看護協会出版会)と共に向かい、
現地では伊藤久美子氏(宮城県訪問看護ステーション連絡協議会会長)、松浦千春氏(同副会長)、門間やす子氏(宮城県看護協会訪問看護ステーション担当)
と宮城県看護協会職員の方1名にご同行いただき、訪問看護ステーションあゆみ、あけぼのひまわり訪問看護ステーション、石巻市医師会附属訪問看護ステーション、
青葉訪問看護ステーション、りあす訪問看護ステーション、南三陸訪問看護ステーションと避難所1カ所を訪問しました。

視察にご同行いただいた一同:
右から伊藤久美子氏(宮城県訪問看護ステーション連絡協議会会長)、松浦千春氏(同副会長)、門間やす子氏(宮城県看護協会訪問看護ステーション担当)、宮崎和加子(当協会次長)

 訪問看護ステーションの状況 

 宮城県は現在確認できるところでは、訪問看護師2名が津波のため死亡するという大変痛ましい被害がありました。
その他には津波にのまれた方、屋根の上に取り残された方、家族を亡くした方、家が流された方など被害は甚大といえます。
 訪問看護ステーションの利用者は被害が大きいところでは、約6割の方が津波のため死亡・行方不明となられました。
また多くの利用者が避難所での生活を余儀なくされており、訪問看護ステーションからも避難所に訪問しているが、エアマットが使用できないため褥瘡の発生・悪化が目立っているということです。
 医療材料や衛生材料は手に入るようになってきていますが、自動車が流されてしまったステーションでは移動手段がなく訪問が困難となっているということでした。
事務所が全壊し、訪問看護記録等の種類などすべてなくなり、再開の目途がたたず、現在何が必要であるかもわからない状況という事業所もありました。
 石巻市は町の中心では瓦礫の撤去が行われ、店舗も営業をはじめているため、物資もある程度回るようにはなってきたということでした。
訪問看護ステーションは通常通りの営業を再開しているところもあり、被害はあるものの活動不能に陥ってはいないとのことでした。
しかし、それ以外の場所ではまだまだ瓦礫の撤去等の復旧作業は進んでいません。

石巻市内、瓦礫が積まれている

破損した車が放置されている

訪問看護ステーションあゆみ(石巻市)

所長の伊藤久美子さん。連絡協議会の会長でもあります。視察に同行していただきました。

石巻市医師会附属訪問看護ステーション(石巻市)に物資を届けました。

青葉訪問看護ステーション(石巻市)は病院内に仮の事業所を置き活動していました。

 あけぼのひまわり訪問看護ステーション(石巻市)では、訪問看護師の渡部さん自身の体験談をお伺いすることができました。
渡部さんは訪問中に津波に襲われ、肩まで水につかる状況で、塀にしがみつきなんとか呼吸をして、九死に一生を得たということでした。
ご自身が大変な経験をされたにも関わらず、現在は訪問をされているということでした。

あけぼのひまわり訪問看護ステーション(石巻市)訪問看護師の渡部さん(右)

 南三陸、気仙沼は洪水の被害が甚大であり、復旧作業が進んでいません。訪問看護ステーションも海岸線にある事務所が津波に流されるなど大きな被害がありました。
そんな中、訪問看護ステーションは同法人の被害がない事務所、老人保健施設、特養ホームや地域の医師会館などに場所を借り営業を行うなど、大変厳しい状況ではありますが、
訪問看護師の皆様の懸命な努力により、活動ができている状況でした。

りあす訪問看護ステーション(南三陸)に物資を届けました。

南三陸訪問看護ステーション(気仙沼)では事業所が津波の被害にあったため、特養に事務所を移して活動していました。

離島にあるおおしま訪問看護ステーションには支援物資を連絡船に積み込みました。

 支援の継続が必要 

 支援物資を届け、直接お話伺う事で想像を超えた被害の一端が明らかになりました。
3月11日から1カ月が経過し、過酷な状況のなか、訪問看護ステーションでは車やガソリンがない時の徒歩の安否確認、必要物資の運搬、状況に応じた訪問看護の提供など、
訪問看護師としてできる限りの対応をおこなっていました。
 今後の復興に向けては長期的に様々な支援が必要となることが想像に難くありません。当協会においても様々な対応を行う必要があります。